Long stay research – Kamiyama 2

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長期滞在視察 – 神山町篇 その2

 いろんなことが絶妙なタイミングと縁によってトントン拍子で進み、徳島県神山町へいざなわれるままに、サテライトオフィス開設に向けて、また、移住へ向けた視察探索に向かうことになりました。日々、書き綴ることもそんなになかったので、滞在期間中の様子をまとめてご紹介します。

■ 神山に入る

 朝早く自宅を出発、羽田から徳島へ約1時間の旅です。何年かぶりの徳島は、徳島空港から阿波おどり空港へと名称も位置もちょっと変わっていました。
空港からまずは徳島駅までリムジンバスで移動。徳島駅までは約30分。徳島駅は県内外のターミナルになっていて、東京でも見かけるお店があっちこっちにあります。乗り継ぎがうまくいかない時は、スタバもタリーズもココイチも駅前にあるので時間をつぶせます。

 徳島駅から神山町へは路線バスに乗りますが、これが唯一の公共交通機関になります。神山町方面のバスは1時間に1本ペース。徳島駅から神山町までは約1時間、1,000円程度掛かります。乗車する前に、降りるバス停がわからなかったので、「神山町農村環境改善センター」に行きたい旨を運転手さんに伝え、近くになったら知らせるってことだったので不安は無かったんですけど、乗客は途中から僕ともう1人だけで心細かったです。

 そろそろかなぁと思ったところで、バス停でも信号でもないところで急にバスが停車、「着きましたよ」と運転手さんが言うので、慌てて席を立ちました。なんと、環境改善センターの前で留まってくれたのです。感動!
後から聞いたら、神山町の区間はバス停でなくても運転手さんに言ったら降ろして貰えるそうです。いきなりローカルルール。

 環境改善センターに着くとNPOの職員のみなさんには話が通っているようで、一通り歓迎を受けました。その後、NPOの代表と再会して、早速、町内を車で案内してもらいました。町はメインの通りが1本で、移住者やサテライトオフィスが集中している地域は概ね2か所と固まっています。

 既にサテライトオフィスを開設している企業を回り、みんながランチを食べるお店でランチを食べ、町を一通り回って、環境改善センターに戻りました。しばらく環境改善センターで話してから、NPOの事務長さんが来て、今度は宿泊場所である「お試しハウス」案内しながら、スーパーやコンビニなどの場所を教えていただきました。
 荷物を置いて、また環境改善センターに戻り自転車を借りました。電動アシストのママチャリでしたが意外と快適です。もう何往復も車で回ったので、ほぼ道は理解しました。この短時間で覚えられるくらいが、神山町の所謂、活動の中心地になりますので、そんなに大きな範囲ではありません。チャリで町を徘徊。お試しハウスからスーパーやコンビニまでは結構距離がありますが、しばらく仕事をすることになるコワーキングスペースとお試しハウスの間にあるので、通勤の行き帰りに寄れると思えば、まぁいい運動不足の解消になるでしょう。また、道の駅が近くにあり、新鮮で大きな野菜が割安で買えるのでよかったです。

 お世話になるコワーキングスペースで手続きし、通信環境をテストがてらメールのチェックなどをしてると、いろんな人がわざわざ、挨拶に寄ってくれました。東京からサテライトオフィスの視察に来るって事が回っていたようで、初日からいろんな方とお逢いできましたが、ほら、僕は人を覚えない人なんで…ね、そういうこと。
 夕方に、歓迎会をしてくれるということでみんなが普段集まるお宅に行くことになり、ここでは移住者のみなさんが集まって、いろんな話を聞かせてくれました。

■ コミュニティの様子

 初日の歓迎ムードでいろんな方々とお逢いすることができました。居酒屋やファミレスがあるわけでもなく、コミュニティの中心は世話役の方の家で宅呑みか、歓迎会や懇親会の様なイベントだけ。毎晩どっかで集まっては呑んでるようなので、付き合いが広ければ夜は退屈しないかもしれませんね。

 お客さんのうちは気を遣って呼んでもらえるでしょうけど、移住した場合、付き合いが無いと誰かに呼ばれることもなければ、集まる機会も殆どないと思っていいでしょう。実際、僕もNPOのアテンドが無ければ、その後の滞在中の生活もコワーキングスペースとお試しハウスとの往復だけで、夜は自炊で独りで晩酌と詰まらないものになっていただろうし、必要な情報も入手できなかったと思う。

 また、帰る少し前に、スダチ狩りに連れて行ってもらって、売り物にはならないけど新鮮なスダチを採り放題で、時価総額いくらだよってくらい持って帰って来て、メンバーにも配りました。こういった体験も、地元の方との交流が無かったら、体験できなかったでしょう。

 神山町ではNPOを中心に移住者、地元のみなさんが、移住やサテライトオフィスの誘致活動、イベント開催に積極的に参加、協力しているので、行く前までは草の根的な活動を想像していたのですが、実は凄く合理的にシステム化されているところが凄いなぁと感じました。

■ 気候

 神山町は山々に囲まれ緑も多く、高い木々が強い陽射しを遮ってくれるので、木陰に入れば結構涼しく過ごせます。鮎喰川沿いに開ける平坦な町で川のせせらぎも体感温度をだいぶ下げてくれてる気もします。お試しハウスのすぐ裏に川が流れていて、入ることもできるのですが、稚魚が沢山いました。鮎喰川って言うくらいなので鮎でしょうか。

 行った時期が台風シーズンで、割と雨の日も多かったんですが、地元の方の話だと針葉樹が多く、山が雨水を溜めて置けないらしく、すぐに川に流れ込むので増水しやすいとか。氾濫することはそうそうないようですが、僕の滞在中に警報が出て、町役場の人に危ないと思ったら避難してきてくださいと言われ、え!自分で判断するの!?って思いながら、その日の夜は全然眠れませんでした。

 東京に比べると蒸し暑さはなくカラッとしているので過ごしやすいと思います。また、冬は体験していないので何とも言えませんが、地元の方の話だと、山なのでそれなりに寒いが、雪深い地域ではないと言います。

■ 行動範囲

 今回はNPOに自転車を用意していただきましたが、神山に入って3日後、NPOの職員の方に原付を貸していただけることになり、最終日まで原付で行動していました。雨が降ると、自転車や原付では流石に外に出られませんので、引き篭もることになりますね。車は必須な町です。

 ピザやカレーが食べたくてもケータリングしてもらえませんので、どうしても食べたくなったら徳島市に出ないといけません。車があれば片道40分くらいなので、行動範囲に入ってくるでしょう。ちょっと話は逸れますが、イベントなどの集まりに行くと、いろんな料理が出てきます。勿論すべて手造りで、地のモノや旬なものを使ったピザなんかも出てきます。勿論いろんな料理でスダチが贅沢に使われています。食後のコーヒーも、豆を挽いたものがどこに行っても出てくるし、こだわりも女子力も高いです。田舎暮らしをするには、自炊できないと厳しいかも。みんな、そういうことも含めて自然を楽しんでるって感じでした。

 話を戻しますが、ちょこっと移動するにしても車はあった方がいいです。天候が変わりやすいってこともあるし、まとめ買いすることも多いですし、19時くらいになると電灯が少ないので、道路とそうでないところの境がわからないくらい真っ暗で、原付のライトでは視界が悪く、正直怖いです。自転車ならなおさらです。

■ 仕事環境

 この業界の話に限定されますが、一番の魅力である通信環境のインフラについては期待以上でした。コワーキングスペースでは勿論、お試しハウスでも、環境改善センターでも、室内での有線やwifiの環境は東京よりも快適で、どこに移住しても、すぐ家の前までは線が来てるそうなので、引き込みコストもそれほど掛からないし、光ファイバー100Mが使えるので、東京よりも快適かもしれません。

 コワーキングスペースでは、ある企業が東京オフィスとのTV会議システムを使ったサテライト環境を構築していました。通信状況は良好で、音声も映像もストレスなくやり取りできる環境でした。

 モバイルの通信環境も、山の中ではありますが全く問題在りません。FreeのWifiが町に飛んでるわけではないのですし、お店にもそういう設備は無いというか、お店自体がありませんので、そういう意味ではノマド的にやるとしたら自前でってことになりますね。
 
 宅急便やASKUL、Amazonは問題なく届きますが、配送が徳島市内から来るようで、細かい時間指定は難しいようですが、事前に電話をくれるので、これも東京よりもかえって親切なんじゃないかと感じました。

■ 移住やサテライトオフィスについて

 今回の大きな目的でもある移住やサテライトオフィスについてですが、結論から言えば、そう簡単に物件は見つからないようです。まぁ、そりゃそうですよね。有象無象が押し寄せても、神山町が荒らされるだけなのでNPOが紹介するのは、ある程度選ばれた人ってことなんだろうと思います。移住を希望する人は、申込書を提出し、紹介物件が出たら順次、審査していくという手順で、現段階では130名くらいの順番待ちということを非公式で聞きました。これは、あくまで賃貸の場合です。

 いろんな人から聞いた話を総合すると、土地ごと買った方が早いって言う意見と、NPOを通さずに地元の住民と仲良くなって、コネで紹介してもらう方が早いって事でした。実際、見つかるまで何年も週末ごとに東京から通った移住者も居るようです。どちらにしても、神山への移住やサテライトオフィスの開設は、非常にハードルが高いということは確認できましたし、それくらい情熱がないと受け入れないってことなんだと思います。

 また、良くも悪くも、地元の住民とはまた違う、移住者を中心とした既に出来上がったコミュニティや文化がありますので、そう言ったコミュニティに馴染めない可能性もありますので、そういうコミュニティが嫌な人は、独自に物件を探すというのは一つの方法かもしれません。
 
 残念ながら今回は、具体的な物件紹介まではありませんでしたし、移住やサテライトオフィス開設への道筋はできませんでしたが、非常にいい経験はできました。

 お世話になったコワーキングスペースは、サテライトオフィスや移住に関する情報のやり取りが日常的にされています。というのも、「神山モデル」を知りたい全国の自治体の視察やメディアの取材、僕と同じように体験に来る人が集まってくる場所になっているのです。

 僕が毎日、そのコワーキングスペースに現れるのを知って、「なぜ東京から?」にものすごく興味を示して、結構な数のインタビューを受けました。まぁ、悪くは言えないから、絶賛しますよねぇ(笑)

 期間中、神山町の職員とは逢いませんでしたが、徳島県の職員とは沢山逢ってお話しさせていただいたり、徳島県としての取り組みや補助金などの説明を受けました。それだけ県をあげた取り組みであることは判りました。

■ NPOの取り組み

 最後に今回の最大の成果としては、NPOの取り組みや運営のシステムと言っていいと思います。このNPOは、移住やサテライトオフィスの誘致だけをやっているわけではなく、地域の活性化のためのイベントやコミュニティづくりなど、地域全体を古き良き時代の活気ある町に戻すことを、地元住民を巻き込んで積極的に取り組んでいます。
 
 例えば、年1回、世界中のアーティストを招待し、神山町に滞在して、神山をテーマにしたアート作品を制作、展示する「アーティストインレジデンス」や、半年間、神山町に民泊しながら、いろんなスペシャリストから座学、実践で学び、イベント開催のお手伝いをしながら、起業や企画者を育成する「神山塾」などを運営しています。神山町に行って驚く事の一つに、外国人や若い人たちが多いことが上げられるくらい、こういった取り組みを切欠に、そのまま神山町に移住したり、神山町やそれ以外の地域で、イベントを企画、運営したり、町興しをしていたり、起業したりと、若者が活躍しているようです。

 2011年からは人口の減少に歯止めが掛かり、増加に転じていることからも、NPOの役割は大きいと感じますし、若者の移住や訪問者の増加に伴って、お店を開くための移住者も増えてきて、活気ある町造りに繋がっているという点で、完成されたシステムであることを目の当たりにしました。

■ まとめ

 今回、縁とタイミングがミラクルにマッチして、この3ヶ月くらいサテライトオフィスの開設に向けていろいろと調べ、それに伴い、僕個人の移住も決めて動いてみました。視察に行って、実際に体験してみて、メディアやネット等で得た情報の何倍も得るものがありました。

 地元の方や移住した先人、同じ業界のみなさんとの情報交換は、東京に居たら得られないものでした。同時に、課題や難しさも見えてきました。その課題をクリアしないと、サテライトオフィスを開設しても移住はできないし、移住できないならサテライトオフィスを開設する意味もないので、まずは課題をクリアにするよう努力します。

 また、その課題がクリアされたとしても、移住する先に賃貸物件が見つからなければ絵に描いた餅です。神山町に拘らずに、もう少し範囲を広げて候補地を選んでいこうと思いました。

 このブログを読んでいる方で、同じ思いで迷ってる方は、まずは、いろいろ考えずに視察に行ってみてはどうでしょう?得るものがたくさんあると思うし、課題も見つかりますし、リフレッシュもできますよ。

 ということで、神山町での体験視察のステップは具体的な検討に入るところまでは進めなかったので、ここまでとなりました。

  1. 移住する地域を決める
  2. 自治体から情報収集する
  3. 移住地域やその周辺のクリエイターとSNSで繋がる
  4. 視察や体験移住する
  5. 知り得た情報の精査、検討
  6. 資金準備、移住時期の決定 - 検討に至らず
  7. 改修や引越スケジュール - 検討に至らず
  8. クライアントやお仕事関係の調整 - 検討に至らず

 さて、神山篇はこれで終わりですが、実は今回のサイドストーリーがあるので、次回はその話をさせていただきます。お楽しみに。

「長期滞在視察 – 神山町篇 その2」というお話でした。

作成者: 木村 ロキ

女性制作ギルド 秘密結社 Qrious(キュリアス) ファウンダー兼プロデューサー 東京から瀬戸内の島に鵜住したことをきっかけに、クリエイターの働き方や人財育成、再生、地域でのクリエイティブやICTを活用したブランディングや地域創生、事業再生を得意としたプロデュースやディレクションで活躍中。メガネ&広島弁や伊予弁など方言女子が大好物。個人的には懐古的なモノがスキ。ネガティブ属性だがユーモアを忘れない。1970年 江戸下町産。

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